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社交不安障害専門 相談屋ジャッジ

お問い合わせは soudanjudge@cs.chu.jp


〒260-0044 千葉市中央区

私が経験したこと


 
 
  氏名:鈴木 哲夫
  生年月日:1975年5月29日
  出生地:千葉県千葉市中央区
  最終学歴:立正大学心理学部臨床心理学科
  尊敬する人:西谷昇二(代々木ゼミナール英語講師)
         明川哲也(ドリアン助川)

  好きな言葉:常識が人をダメにする 非常識が人を救う

 これから、私がどんな幼少期を過ごし社交不安障害に至っ
 たのか。そして、どのようなことに社交不安障害が表れた
 のかを書いていきます。これだけカッコつけずに正直に私
 自身の経験を告白することに恥ずかしさもありますが皆さ
 んのお役に立てれば幸いです。

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  私と社交不安障害 ~幼少期・父親へのおびえ~


私は感情の起伏があまりなく、どこか冷めた考えをした子供
でした。

親に叱られ「出ていけ!」と言われても、何も親に言い返す
こともなくスタスタと家から出て行ってました。「町内を一
周して帰ってくれば親の怒りも静まるだろう」と子供ながら
に考えていたことを今でも覚えています。


逆に私の姉は「ごめんなさい、ごめんなさい」と大声で泣き
わめき、玄関の柱につかまって、絶対に出て行かないタイプ
でした。私と姉は兄弟であってもそれほど違っていたのです。


しかし、本当は私は冷めた子供というよりもわめいたら更に
父親に怒られる
ことを知っていたのだと思います。だから自
分の気持ちを抑えていたのです。


私が社交不安障害になった原因は父親にあると思っています。


父親は神経質で高圧的で家族を上から押さえつけるような人
でした。絶対に自分の非を認めないし、家族内でケンカをし
た時はいちばん暴れていたにも関わらず翌日には「家族は仲
良くしなくちゃな」と身勝手な言葉を言い放っていました。
そして何かにつけて「お父さんは、子供のことがいちばん大
切なんだよ」とアピールしてくるタイプ。


私はそんな父親にうんざりすると同時に「お父さんを怒らせ
てはいけない」
といつもいつもおびえていました。だから父
親とは一定の距離をとり、心の底から甘えられないまま育ち
ました。


そして、父親の機嫌を伺っているうちに、他人の気持ちに敏
感な人間になってしまったのです。





  私と社交不安障害 ~給食から会食恐怖に~


そんな私が初めて『不安』というものを意識したのは小学校3
年生の時です。


私はいつもと変わらず学校で給食を食べていておかわりをし
た時です。今でも理由はわかりませんが急におかわり分を食
べたくなくなってしまったのです。このときは担任の先生に
事情を話し残すことになりました。


しかし、翌日「また、食べられなくて残したらどうしよう…」
と考えるようになってしまったのです。


「またか」と友達に思われること、当時の担任の先生が「給
食は絶対に残すな!」主義であったことが、私の不安を増大
する要因になりました。この時から私の社交不安障害が始ま
ったのです。


それから私にとって月~金曜日の給食の時間は耐えがたい時
間に変わり、心が休まるのは、給食のない午前中授業の土曜
日と休日の日曜日だけとなりました。


給食のことを考えると気分が悪くなり登校途中で家に帰って
しまったり、学校に行けない時もありました。「このままで
は不登校になってしまうから明日は必ず哲夫君を登校させて
ください」と当時の担任の先生が家まで来た時もありました。


私はただ毎日、給食の献立表を確認しては「今日は食べやす
そうな献立だ」「明日の献立は食べづらそう…」と一喜一憂
しながら小学3年~6年の4年間を過ごしました。


それから中学に入ると不思議と給食に対しての不安をあまり
感じず、平穏な生活を送ることができました。





   私と社交不安障害 ~給食から解放されたのに…~


そして高校3年生の時に、体調を崩し食欲が落ちてしまった時
期がありました。


そのことがきっかけで、小学生のころの「給食への不安」を
思い出し、それが「食べられないことへの不安」に変わった
のです。


食べられないということでもの凄く身体がだるくなり気分が
悪い状態が続きました。次第に、その気分が悪いことが引き
金になり閉鎖的な空間に入ることへの不安を感じるようにな
りました。


その結果、授業中に席に座っているだけで心臓がドキドキし
てきて動揺するようになったり、電車に乗ることも「乗った
ら閉じ込められる」という恐怖から身体が震える時もありま
した。そんな自分を人に見られたくないと思い、駅のホーム
でバッタリ友達に会わないように隠れるように電車に乗るよ
うになりました。


ここまで読むと「パニック障害?」と思うかもしれませんが
違います。私の場合は誰も乗客がいない電車なら不安は全く
ありません。エレベーターにだって一人で閉じ込められても
何とも思いません。「同じ空間に自分以外の人がいる」とい
うことが私の不安の原因だったのです。


小学校3年生の時から続けていた野球も高校2年生の3月に退
部しました。


「野球やるのが嫌になった」と嘘をついて誰にも辞めた理由
を話したことはありませんが、本当の辞めた理由は送球イッ
プスです。ボールを投げること自体が怖くなってしまったの
です。


これも「きちんと送球しなければみんなに迷惑をかける」
いう人の目を意識しすぎたことが原因です。





  私と社交不安障害 ~受験は恐怖突入の連続~


高校を卒業した後、大学進学を目指しましたが、相変わらず
人のいる閉鎖的な空間が苦手で予備校の校内模試は受けられ
ないし、受験本番も試験の教室のあの静まりかえった人の多
い空間のことばかりが気になり、問題に集中して解くような
心理状態ではありませんでした。


できるだけ受験時の席順が教室の端、あるいは後ろになるよ
うに願書を出す時期をできるだけ提出最終日に近づけたりし
ていました。受験番号を後ろにしたかったのです。


試験当日は、やはり教室に入る前と試験開始後の10分間は本
当にきつかったです。


毎回、逃げ出す寸前のような状態…。不安障害の人にとって
の恐怖突入は死の恐怖と同等であるという話があるくらい経
験者にしかわからない恐怖。試験が始まっても問題文が頭に
入ってきません。


そんな極限の状態でも、答えるしかなく1科目目の試験が
「できた!」と思っても、2科目目の試験中に不安になって
たら全てが無駄になると考え、それが原因でさらに不安が増
大した時もありました。 





  私と社交不安障害 ~ひとつの転機~


その後、大学には入学したものの三か月で退学し、その後、1
年間受験勉強をし直し歯科技工専門学校へ入学しました。


しかし、またしても私はつまずいてしまったのです。
それは友人二人と一緒に帰っているときに、急に言いしれな
い不安感に襲われてしまいその不安感が頭から離れなくなっ
てしまったのです。そして、また私は精神的なバランスを崩
し1週間寝込んでしまいました。


食欲もなく自分の体重が減っていく恐怖の中、カロリーメイ
トだけは意識して食べるようにしていました。この時に初め
て「精神病院に行かなくちゃヤバいかも…」と思いました。


後にも先にも「病院に行きたい」と思ったのはこれ一度きり
です。それくらい気持ちが落ち込んでしまいました。そんな
状態ですから掛け持ちしていたアルバイトも辞めてしまいま
した。


しかし、転機が訪れました。数日後に父親が作ってくれたう
どんを食べることができたのです。「食べれた」という安堵
感は今でも覚えています。それに加え「まぁ、ゆっくりやれ
よ」という父親の思いがけない言葉で「焦らなくてもいいんだ」
と気持ちに落ち着きが出始めてきました。


それからはまた食欲が落ちてもその時は「うどんを食べれば
いいじゃないか」と自分の中で保険みたいなものができて
それは前進するエネルギーへと変わっていきました。


もう1つ「人って落ちても、結局はまた何とかなる」と考え
られるようになったのです。この時の経験は今でもかなり活
きています。





   私と社交不安障害 ~自らの経験を活かす道へ~


その後、無事に歯科技工専門学校を卒業し歯科技工所に就職
することになりましたが「自分は本当にこのままでいいのか
?」と自問自答をする日々が続きました。


技工所は本八幡(市川市)にあり、毎日、お昼の休憩中には江
戸川沿いで「俺がやりたいことは技工じゃない。技工じゃな
い…」と心の中で繰り返しつぶやいていました。


そう思うようになった理由は心理カウンセラーの道に進みた
いと思い始めたからです。でも、「心理カウンセラーになる
自信がない…」「もし、自分の受け持つ患者が自殺したら自
分は受け止められるだろうか…」といった不安が私の前に立
ちふさがりました。


そんな悶々とした日々を送ったいた時、テレビで夏目漱石さ
んの『私の個人主義』というものが放送されていました。
その中の「迷ったら壁にぶつかるまで進むしかない」という
言葉に「はっ」とし「技工を辞めよう、大学に入り直そう」
と決心しました。


それから仕事を辞め、数か月間、独学で大学受験勉強をしま
したが、受けた大学は全滅。全く歯が立ちませんでした。
このままではダメだと思い、新学期から予備校に通うことに
しました。この時26歳。現役高校生と同じ教室で授業を受け
ることになりました。


しかし、この予備校で運命(こちらからの一方的な想い)の出
会いが訪れました。


代々木ゼミナール英語 西谷昇二先生との出会いです。
「やっと、自分が理想とする人に出会えた!」と予備校から
の帰りの電車では半泣き状態でした。人と群れない一匹狼だ
けれど、自分を必要としてくる人に対しては少々の自己犠牲
はいとわないで接してくれるスーパーマンのような先生。
しかし教壇では明るいのだけれど、どこか十字架を背負って
いる哀愁も…。


当時もそうだし今でも私にとっては人生の師匠です。何かう
まくいかなかったことがあった時は「西谷先生ならどうアド
バイスしてくれるだろう?」と今でも考えます。


そして西谷先生や他の先生のおかげもあり、翌年、立正大学
心理学部臨床心理学科に合格することができました。
しかし、期待して入学したものの、心理学は私の求めていた
生々しいほどの心などありませんでした。


その結果、臨床心理士への関心は薄れ自分の経験を活かしな
がら、社交不安障害の人と接していくことだけを考えるよう
になりました。


「自分の経験から得た真実を伝えていきたい」


毎日毎日、それだけしか考えていませんでした。
そして、大学を卒業して数年後、社交不安障害専門相談所
『相談屋ジャッジ』を始めました。


しかし、当時は相談を受けるたびに、自分自身にまだまだ迷
いがあることに気付き、力不足も痛感しました。
「このままではダメ」と判断し、できるだけ多くの相談を受
けるために数年間、無料で相談を受け続けていました。


そして2011年に拠点を千葉県千葉市中央区に置き有料相談を
再開し今に至ります。





 社交不安障害の経験者として今、思うこと。伝えたいこと。


社交不安障害がどんな形で現れるかは本当に様々です。私は
たまたま
小学生の給食の時間から会食恐怖になっただけです。


だから、人前で話すのが緊張する・集団の中で受け入れられ
ていない感じがすると「嫌われているのでは?」と心配にな
る・雑談しなければいけない状況が苦手だという社交不安障
害の人と根本は同じです。


「他人が自分のことをどう思っているのか?」が気になるこ
とです。


しかし、以前、相談を受けた女性に 「鈴木さんの給食に対す
る不安なのですが、何でそんなことを気にするのかわからな
い」と言われてしまいました。


その女性の悩みは会社の同僚や近所の人とうまく関われない
ということでした。でも、やはり私とその女性の根本は同じ
なんです。その女性の悩みは、他人と上手く関われないこと
ではなく、上手く関われない自分が他人の目にどう映ってい
るのかが気になっていることです。


私も小学生のころ、食べられない自分が他人の目にどう映っ
ているのかが気になっていたのです。


話は変わりますが、先日、ひさしぶりに会った知り合って30
年以上になる友人に「普通の父親に育てられていたら、お前
も普通に会社勤めしていたと俺は思うよ」と言われました。
私自身もそう思います。違う父親に育てられていたらもっと、
良い意味で鈍感に人生を送れたかもしれません。


でも私は父親を憎んでいないません偏った性格の反面「何
か子供に問題が降りかかった時、自分の命を犠牲にしてでも
守ってくれる父親」だということを知っていたからです。


そして、実は父親こそ愛情不足の幼少期を過ごし、そのとき
に植え付けられた寂しさを周囲の人間に不満という形で当た
ってしまったのだと思います。


しかし、その父親も2014年5月に亡くなりました。
生きている時には全く感じなかったのですが、父親が亡くな
って思うことがあります。それは、やっぱり自分は父親の息
子だなと。

 
ここまでの私の半生を読んでいただければわかると思います
が、心の弱い人が社交不安障害になるのではありません。
気を遣わなければいけない親に育てられた人が社交不安障害
になるのです。
あなたがうらやましいと感じる人だってあな
たと同じような幼少期を過ごせば、社交不安障害になってい
たかもしれません。


もう一度、言います。
社交不安障害になる理由はあなた自身にはありません。育っ
た家庭環境で決定づけられます。
だから思いきって「親のせいだ!」と心の中で叫んでやりま
しょう。しかし、その親のせいでなった社交不安障害とどう
やって付き合っていくかは、自分に責任があります。辛いけ
れどそう受け止めることで次の一歩を踏み出せるのだと思い
ます。


私の相談の方法は机の上で学んだだけの心理学はほとんど使
いません。そして、精神科医の決まり文句の「あなたの社交
不安障害の原因は脳内伝達物質のセロトニンにあります」な
んていうことは絶対に言いません。私自身の経験を通した言
葉で社交不安障害を説明させていただきます。


常に「自分ならどうするか?」「自分はどうしていたか?」
ということを考え、アドバイスをするように心がけています。


社交不安障害の人は、理想の自分が非常に高いためにその反
動で理想の自分ではない自分を受け入れることができません。
一度でも不安になる感覚を経験してしまうと、ひとりで修正す
るのは非常に体力・精神力を消耗します。


そんなときは自分だけの力だけに頼らず私と
二人三脚で社交
不安障害と向き合っていく選択も考えてみてください。私自
身がなぜ社交不安障害を肯定的に考えることができるように
なったのかもお話していきます。


不安や緊張の
逃げ方ごまかし方を私と一緒に考えていき
ましょう。





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